“Everything” for Myself

Everything can only describe Anything

9月の小言

f:id:slavicgirl:20221001130939j:image
9月の小言(公式)


分かりきった物語を見れない

分かれ道の無い迷路をやっている感覚


同じではないことは命の象徴。均一は生命を感じない。


笑いはみじめさのスパイスを


面白いは頭いいより価値が高い

頭いいやつも凄いけど、結局僕の人生に何をしてくれるかわからない。将来学者になって、医者、弁護士になって誰かを救ったり助けたりしてくれるかもしれない。素晴らしい。けど分からない。一生関わりないかもしれない。そもそもそんなに凄くならないかもしれない。

でも面白いはもっと明確で、今話してくれれば、それだけ僕たちを幸せにしてくれる。泣くほど笑ったらまたそれを誰かに話すし、そばにいるだけで自分も面白くしてくれるかもしれない。いま面白くいえれば変わる空気や、もしかしたら誰かを救ったり助けたりもできるかもしれない。面白いあなたが、そばにいてくれればその瞬間は面白くなるし、1週間、1ヶ月、一年中いてくれればそのクラスはずっと面白くなるし、もしかしたら中学校とか高校とかの三年間ずっと一緒にいてくれれば、あとで「まじで面白かった」って言える月光生活になるかもしれない。だから面白いは明確で、価値が高い。


アメリカ 憧れない文化

憧れるって言葉がない。てか「憧れる」って言葉めっちゃキラキラしてるけど、言ってることしょうもないやん。まさにその感じ。英語で言うとしょうもなさ溢れ出る。


いい奴しかいない世界では生きれない、でもいい性格を引き出し続けてそれを浴び続けて生きるの事はできる。


「死にたいんですけど、どうしたらいいですか」という死にたいほどの苦痛や悩んでいる状態を忌み嫌う文化

あるよね。たぶんこう言う人はまだ幼いから分かってないんだけど、世間の人が自殺は良くないって言い続けるのは死んだ時の責任を負えないから、そう言わざるを得なくなってるだけ。現実的理論的に考えれば、個人の性格やポリシーやトラウマの理由以外で、死にたいと思うほど辛い状況にしばらく居ない状態は正直まずい。同じく悩んでいない状況もまずい。これはなんなのか考えると、心のポジティブネガティブと人生のポジティブネガティブがごちゃごちゃになってしまっている。分析するとこうだが、自分の知っている北米にこの文化がない事を考えると、この問題の根っこにあるのは、しょうもないが集団催眠的なことだと思う。だから幼い子がこういう風に考えるし、性格によっては大人になってもこの考えのままだ。


最終的な意見は違っても、感じてる違和感は同じ

全然違うこともあるが、世の中で賛否両論ある事は結局感じてる違和感はみんな同じで、それの受け取り方の違いである事が多い。だいたい理想と現実、リアルとフェイクの噛み合わせがちょうど良くない事が原因かも。あと大体の場合、一つの問題ではなく、いくつかの問題をごちゃ混ぜにしてしまっていることが多い。